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今日は中国の古代文明のうち、仰韶文化とほぼ同時期に中国東北地方の遼河流域に起こった遼河文明の代表ともいえる、紅山文化について見て行きたいと思います。
紅山文化(こうさんぶんか)は中華人民共和国河北省北部から内モンゴル自治区東南部、遼寧省西部に紀元前4700年頃-紀元前2900年頃[1])に存在した新石器時代の文化。
万里の長城より北方、燕山山脈の北から遼河支流の西遼河上流付近にかけて広がり、農業を主とした文化で、竜などをかたどったヒスイなどの玉から、現在の中国につながる文化や宗教の存在の可能性が考えられている。、(ウィキペディア [2]より)
>原中国人(スンダランド発のO1、O2が主体の元海洋民)は母系の農耕文化を開花させるが、次第にモンゴル高原の新モンゴロイドO3が南下して文化的影響を与えるようになる。<(るいネット [3]より)
紅山文化は、それまでの母権社会から父権社会への移行期であるとも言われていますし、その他様々な面でもそれ以前とは変化が見られます。それでは具体的にその違いを見て行きたいと思います。
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以下は「中国文明史(1)先史 文明の胎動」趙青春著からの要約です。
【生産様式の変化】 中国東北地方には遊牧民も生活しており、「北の牧場」とも呼ばれるほどの天然の牧場であった。その影響から、ほぼ同時期に存在した仰韶文化などと同じく農耕を主体としながらも、農業、牧畜、狩猟を主要な生産様式としていた。
ただし、東北地方の中で紅山文化の地域は、仰韶文化圏とも近く、依然農耕に有利で生産力も高かった。
[5](写真は龍を型取った玉器)
【婚姻様式の変化】 婚姻様式はそれまでの郡婚制から、徐々に一夫一婦制へと移行してゆく。
これは発掘された墓の埋葬の仕方から、1対の男女が一緒に埋葬されるという、男女合葬の様子から伺えます。
【平等性から階層化への変化】 同じく墓の埋葬の様子から、墓の大小及び副葬品の様子より、多くの副葬品が見られるかなり身分の高いと見られる人から、墓も小さく時には副葬品が全くない人など、階層化がかなり進んでいたと見られます。
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(死者の左右に貝殻を敷き詰めた龍虎。画像はこちら [7]よりお借りしました)
【母権から父権制への変化】また発掘された遺跡から、かなり大掛かりな宗教センターが出現しています。そこには女神土偶と一緒に龍首、猛禽などの塑像や祭祀用の品も見つかっており、神権と王権が統合された形態であることを示しています。
これは父権社会の典型的な特徴のひとつであることから、すでに父権社会に移行していたことがわかります。
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(右は女神像の復元図 [10]です)
【宗教】
遺跡からは多くの妊婦土偶が見つかっており、原始農耕社会では人々は大地を母親とみなし万物を繁栄させ五穀を生み出し神々と考えていたことから、依然農耕を主体としていた紅山文化においては、女性は敬われていたようです。
また、家畜である豚の頭をかたどった豚龍の玉器は、後の中国における龍の神格化の魁でもあり、こちらも崇拝の対象であったようです。(「ドラゴン:中国 [7]」より)
このような、龍→天、母→大地に対する信仰心の表れとして、当時すでに天円地方の観念が成立しており、その結晶としての円形の積石の祭壇と、方形の石積塚という、ピラミッド式の墓が出現することになります。
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(画像はhttp://www.lnjp.gov.cn/upimg/090311/3_134056.jpg [12]“>こちらよりお借りしました)
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【新モンゴロイドの南下とチベット族の侵入によって母系から父系へ転換】
>500年~5000年前は寒冷・乾燥化の時期であり、父系氏族社会への過渡期だと言われており、黄河流域と長江流域で防御性の高い城堡が出現した。これは新モンゴロイド(トルコ族、モンゴル族、ツングース族)の南下による影響及び、タリム盆地からチベット高原に進出してきた印欧語族の遊牧部族によって押し出されて、黄河上流へ進出してきたチベット族の影響と考えられる。
黄河中下流域の龍山文化(4800年前~4000年前)にはモンゴル族の影響が、紅山文化(5400年前~4300年前)にはツングース族の影響が、黄河上流域の馬家窯文化(~4700年前)、長江上流域の三星堆文化(5000年前~3000年前)にはチベット族の影響が考えられる。
こうして、一方では父系転換と私有制が強まり、他方では、戦争圧力が強まる中、いわゆる中原地域において夏→殷→周の王朝が誕生し、中国私権文明の歴史が幕を開けることになる。<(るいネット [3]より)
この様に、母権性から父権制への転換や階層化社会の出現、龍の崇拝や天円地方の観念など、後の中国の社会・文化・思想に繋がる多くのものが、この紅山文化を初めとする遼河文明から広がっているとも言えます。そしてそれは、モンゴル高原発のO3型のY遺伝子をもつ人々が、やがて中国全土に広がり、現在の中国の主流となって行ったことからも裏付けられると思います。